きらっくです。
よく「いまを生きよう」なんて言われますが、正直どうしたらいいのかわかりませんよね。
過去があり未来があり、その間の一瞬に”いま”があります。
このブログを読んでいるいまもすぐに過去になっています。
難しいおはなしにしたくはないので、とりあえずイメージだけでいいでしょう。
では、あなたがいまを生きることができなくなった理由とはなんでしょうか。
それは便利になりすぎた世のなかのせいです。
なぜ便利な世のなかだと、いまを生きることができなくなるのか。
今回は、そんなおはなしをしたいと思います。
それでは最後までよろしくお願いします。
結論
記録じゃなく、記憶に残すことに力を尽くすことが、いまを生きるための簡単な方法
記録することに熱心
わたしは2児の父親です。
父親になると、子どもの運動会やお遊戯会などといったイベントに参加することがあります。
イベントに参加すると、周りの親はカメラやスマホを構えて、熱心に記録を撮っています。
子どものイベントに限らず、なにか特別なときはあなたも、カメラやスマホを構えているのではないでしょうか?
たとえば撮影OKなライブであったり、旅行先での風景や料理の写真などを記録に残していると思います。
わたしはこれこそ、便利になりすぎたせいでいまを生きることができない理由だと思います。
なぜなら、カメラで撮影しているときに、あなたの感情は動きますか?
撮影することに夢中になって、本来の目的を見失っているのではないですか?
100メートル走をスタートからゴールまで撮影する。
ゴールした瞬間も撮影していれば、子どもと一緒に喜ぶことも、励ますこともできません。
必ずリアクションまでに1クッションあるうえ、感情の動きは小さいはずです。
いまを生きるのであれば、感情の動きはとても大切だということをまずは知ってください。
子どもは親の行動をよく見ています。
走り終わったあとにカメラを見ている。
そんな姿を子どもに見られているのです。
思い出を語り継ぐために
何度も見返したい記録。
はたして、どれだけのひとがその記録を見返しているでしょうか?
運動会のはなしも子どもが大人になってから聞かれることがあるでしょうか。
孫ができてふと思い出すのではないですか。
「そういえば、お前もこんなふうだったな」
なんて孫の運動会を見て、思いかえすのです。
つまり、記録よりも記憶のほうが先にでてくるということです。
わすれてしまうかもしれない不安もわかります。
でも感情を大きく動かす出来事は、しっかり覚えています。
記録を探すよりも、記憶のほうが有能です。
なので、記録を残すことよりも、記憶に残すように、いまこの瞬間も感情を動かすことを大切にしましょう。
じぶんの小さいときの記憶はほとんど残っていませんが、母親から聞いたりしています。
そして聞いたことは、いまではわたしのおもしろい話になっています。
便利すぎるゆえの苦悩
”いまを生きる”という言葉を聞くようになったのは、ここ十数年だと思います。
思いかえしてみてください。
以前は井戸端会議や手紙といったアナログなコミュニケーション手段。
そこから時代は進み、携帯電話にカメラがつき、手紙の代わりにメールを送る。
時間をかけていたことはどんどんと減り、あっという間に終わってしまう。
つまり感情の動きが少なくなっているのです。
感情の動きのない毎日はつまらないと感じます。
だから刺激を求める。
さらに承認欲求を満たすために、SNSで発言し、じぶんに対しての反応に左右される。
便利すぎるゆえに、苦悩する人生になっているのです。
あなたは最近、感情を動かされたことありますか?
感情の動きこそ、”いまを生きる”ための近道なのです。
便利ってじつは誰かのレールのうえにいるだけ。
あなたの人生じゃないから、いまを生きられないということ。
まとめ
わたしは正直、あなたがどんな人生をあゆもうと知りません。
救おうとも、悲しませようとも思いません。
いまを生きる。
一体だれのための人生なのかをもう一度見直す。
便利なツールを使ってブログを書いていますが、だれかのために書いているわけではなく、じぶんのために書いています。
ただ、いま感じたこと、思ったこと、考えたことを書いている。
すべてわたし自身のために。
あなたもあなたの人生を歩んでください。
最後までお読みいただきありがとうございます。
きょうもわたしはあなたと出会えて「運がいい」
ありがとうございました。
参考までに