人間関係でのなやみの落とし穴について

日常
きらっく
きらっく

きらっくです。

多くのひとのなやみは、人間関係ではないでしょうか。

わたしも職場の人間関係でなやみ、鬱だったときがあり、いまはブログやライターのしごとをしています。

またたくさんの本を読み、そこから人間関係について、学んでいます。

今回は、あなたが鬱にならないように、人間関係のつくりかたのおはなしです。

最後までよろしくお願いします。

結論

人間関係の落とし穴は、あいてのせいにしていること

感謝する

きらっく
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人間関係においてたいせつなことは、感謝することです

あたり前なことを言っているかもしれませんが、できていないひとが増えてきていると思います。

まわりの環境は、じぶんの鏡という言葉もあります。

なのであなたがよく感謝されるのであれば、あなたもまわりに感謝しているということです

人間関係の落とし穴として、じぶんが我慢することでどうにかしようということがあります。

我慢して人間関係をつづけていると、鬱になります。

我慢するくらいならば、ありがとうと言えるところを探す。

我慢するくらいならば、その場からにげる。

すべてはつながっています。

わたしが退職し、いまはブログを書いて、あなたに読んでもらっている。

退職していなければ、ブログを書いていないですし、あなたに読んでもらうこともありません。

にげることは悪くないです。

じぶんの身体をたいせつにするためにも、病気になるまでじぶんをいじめないでください

あいてへの考えかた

きらっく
きらっく

つぎはあいてへの考えかたです。

しごとのミスや、生活のなかの嫌なことをあいてのせいにしていませんか?

人間関係のなやみは、あいてのせいにするからです。

悪いところ、嫌なところに目をむけると、あいてのせいにしたくなります。

わたしも鬱になったとき、あいてのせいにしていました。

なぜかじぶんは悪くないはずなのに、あいては元気でわたしは鬱に。

そのまま退職したのですが、たくさんの本を読んで学んだことがあります。

それは”見返りを求めてはいけない”ということです。

そしてわたしは、見返りを求めるくらいなら最初からやらないことだと思います。

見返りを求めて行動すると、じぶんの意思ではなくなります。

なので、見返りを求めるくらいなら最初からやらないと決めました。

親は子に見返りを求めて育てますか?

ただひとつだけ注意があります。

それは”自己犠牲しないこと”です。

あなたの見返りを求めない愛を、平気でうばっていくひとも少なからずいます。

じぶんにむけての愛をわすれないでください

ひとは独り

きらっく
きらっく

生まれるのも独りなら、死ぬときも独りです。

斎藤一人さんというかたは、”ひとはしあわせになるために生まれてきている”と言っています。

なので、しあわせじゃない道は間違った道とも言っています。

子どものころは、純粋でいつも楽しそうです。

それはいつもしあわせだからです。

でも、成長していくにつれ、つくられた常識やルールにしばられ、子どものころのように楽しめなくなっていきます。

もちろんだれかの迷惑にならないようにするのは、ひつようかもしれません。

だからと言って、じぶんの人生を楽しめなくなるのはちがうと思います。

人間関係でなやんでいるのなら、どうしたら楽しくなるのか、しあわせになるのかを考えてみるときかもしれません。

まとめ

人間関係の落とし穴、じつはじぶんにあるということ。

だれかをかえることは難しいけど、じぶんであればかえやすい

感謝するきもちと、見返りを求めないことで、人間関係でなやむことは少なくなると思います。

じぶんのきもちと向き合い、楽しくしあわせな人生をあゆみましょう。

きらっく
きらっく

最後までお読みいただきありがとうございます。

きょうもわたしはあなたと出会えて「運がいい」

ありがとうございました。

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